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ばさら工房

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こだわり

其の壱:安土城の青い瓦

天正4年(1576年)安土城築城にあたり、信長は明国から招いた一観(いっかん)に瓦を焼かせました。日本に燻(いぶ)し瓦の製法が伝わったのは、この時とされています。
高さ46mにも達する、世界でも初めての木造高層建築である安土城の天守閣。その絢爛豪華な天守に葺かれたのが一観の瓦でした。
ポルトガル人のイエズス会宣教師ルイス・フロイスは、著書「日本史」の中で安土城の瓦についてこのように記しています。
「テンシュ(天守)は、我らの知る限りの最も華美な瓦で覆われ、それらは青に見えた。」
一観の燻し瓦が青く輝いて見えたのでしょうか。
燻し瓦の始まりは、それまで作られてきた古瓦からの歴史的な転換でもありました。
それから30年あまり後、淡路島に伝えられたのも、この時生まれた織豊系の流れを組む瓦です。

安土城天守復元

淡路国大絵図にある由良城。安土城に始まった織豊系の瓦が葺かれている。
「水の都徳島再発見 秀吉の町・家康の町」より

由良城の瓦と岩屋城の瓦

其の弐:淡路瓦のはじまり

淡路島に瓦作りが伝わったのは、慶長15年(1610年)。播磨姫路藩主池田輝政の三男忠雄(ただかつ)が、岩屋城の改修、由良城築城にあたり、播州瓦の名工清水理兵衛に淡路で瓦を焼かせたのが始まりと言われています。
父・理兵衛が播州に戻ったのちも倅・弥右衛門は淡路にとどまり、二代目理兵衛を襲名。代を重ね、分家、のれん分けなどを経て、淡路の瓦作りを広めてゆきました。
名工の技は、良質の瓦土が採れることもあって淡路の地に根付き、時代の流れとともにさまざまに変化しながらも、今日まで連綿と受け継がれています。

其の参:「ばさら」の精神を胸に

ばさらとは、梵語(サンスクリット語)を語源とする日本中世の流行語。
「それまでの常識を打ち破り、自由な発想で新たなものを生み出す」という意味で使われていました。
淡路瓦の源流となった織豊系の瓦は、まさに、そうした精神から生まれた新しい瓦でした。
ばさら工房は、淡路瓦の原点を宝とし、「ばさら」の精神を柱に据えています。
お届けしたいのは、個性ある風合い。
自然な歪みや瑕、むら。時間と共に古びてゆく素材の味わい。そうしたものから醸し出される美しさです。
手に取ったお客様の感性に触れ、なにかを呼び覚ますような。そうした瞬間を生み出していきたいと思っております。

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